「自転車泥棒」〜ネオリアリズモの歴史的名作
今日は 歴史的名作、「自転車泥棒」のレビューです。この作品は今でいうアカデミー賞外国語映画賞に当たる賞を受賞した歴史的名作映画です。
評価:3.5(普通の映画)
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公開:1948年(イタリア)
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
キャスト:ランベルト・マジョラーニ、他
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あらすじと時代背景
このお話は奥さんと息子と暮らす男が自転車を盗まれるお話。自転車は自転車でも、ただの自転車ではありません。映画の舞台は第二次世界大戦後のイタリア。恐慌に苦しむ主人公が見つけた広告貼りの仕事に自転車は欠かせませんでした。一家の生活がかかった自転車と憎き自転車泥棒を探しに、主人公と息子の犯人探しが始まります。
ネオリアレズモ
この作品はネオリアリズモと呼ばれる作品です。ネオリアリズモとは、当時のイタリア文学に見られた風潮です。そして、ネオリアリズモの映画は戦争から復興しようとするイタリア社会の現実をシビアに描いているのが特徴。本作でも、「仕事が見つからない」、「自転車が盗まれる」、「生活格差がある」など、リアリティのある不況の様子が描かれています。同じネオリアリズモの有名な映画といえば、「無防備都市」、「揺れる大地」、「戦火のかなた」などでしょうか。
余韻の残るラストシーンに考えさせられる
ストーリーはシンプルですが、「自転車泥棒は誰なのか?」、「自転車と犯人は見つかるのか?」というミステリー(?)の要素を含んだ展開には引き込まれます。そして、最後の最後は怒涛の展開!たまにはネタバレなしで書いていますが、主人公の鬼気迫る状況を客観的視点と緊張感のある音楽で見事に表現していました。
エンドロールを眺めながら、映画の余韻と人間にとって大切な何かについて、あれこれと考えさせられる映画です。
「X-MEN」に出てくるミュータントまとめ 無印編
X-MENを観ていると、「こいつなんて名前だっけ?」とか「〇〇の能力ってなんだっけ?」とか思ってついついWikiで調べてしまいます。なので、1つの記事にまとめてみました。今回は第1作目の「X-MEN」に出てくるミュータント。
評価:3.5(普通の映画)
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公開:2000年(アメリカ)
監督:ブライアン・シンガー
キャスト:ヒュー・ジャックマン、他
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キャラクター紹介の前に、あらすじと感想
X-MENシリーズは前期3部作、後期3部作、ウルヴァリンをめぐる3つの作品の合計9本からなるシリーズです(まだ続くそうですが)。原作と同様に個性豊かなミュータントたちが登場し奇想天外なアクションを繰り広げる映画です。また、それだけでなく、主人公の孤独や、ミュータントに対する差別、ミュータント同士の友情や恋愛模様など、様々なドラマが同時に絵描かれており、アクションだけでなくラブストーリーあり、社会派な要素もあり。いつまでもX-MENのファンをやめられない大人がたくさんいるのはそういったちょっと深みのあるストーリーが理由の一つだと思います。
ちなみにこのシリーズ第1作目は、主人公のウルヴァリンがX-MENに合流し、彼らの最初の戦いを描いた物語。
「X-MEN」に登場するミュータント一覧
ウルヴァリン(ローガン)
能力:不死身
サイクロプス(スコット・サマーズ)
能力:目からビーム
ジーン・グレイ
能力:サイコキネシス
ストーム
能力:天気を操る
プロフェッサーX(チャールズ・エグゼビア)
能力:人の記憶や意識を操作する
ローグ
能力:触れた相手の生命力を奪う
能力:氷を生み出す、ものを凍らせる
能力:炎を生み出す
ミスティーク
能力:そっくりに変身する
トード
能力:カエルのように舌が伸びたりジャンプしたりする
能力:怪力
マグニートー(エリック・レーンシャー)
能力:金属を操る
能力については、ざっくり書いています。本名は劇中によく出てくるキャラクターのみ書いています。これで全部だと思いますが、漏れがありましたらコメントください!続編についてもいつかそのうち書きます。
「インセプション」〜ダイナミックで豪華絢爛なSF作品。ラストシーンに込められたメッセージとは?
大好きな映画監督クリストファー・ノーランによる大好きなSF映画、「インセプション」のレビューです。ラストの解釈については持論が展開されていますので、ご注意ください。
評価:4.5(面白い映画)
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公開:2010年
監督・脚本:クリストファー・ノーラン
キャスト:レオナルド・ディカプリオ、マリオン・コティヤール、渡辺謙、他
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洗練された脚本と映像とキャストに音楽の豪華絢爛なSF映画
好き嫌いは別として、監督、脚本、役者、音楽ともにビッグネームが名を連ねる豪華絢爛な映画です。まずは、この作品の魅力をどうぞ。
監督はクリストファー・ノーラン。彼は「メメント」や「インターステラー」、「プレステージ」、「ダンケルク」などに見られるように、映画の中の時間や見せる順番を巧妙に操った緻密な脚本で観る人をあっと言わせる頭脳派な監督です。そして、見たこともないような独特の映像表現で観る人を彼の映画の世界に引き込みます。本作では「夢の中の夢の中の夢」という(映画を見た人にしかわからない表現ですが)、彼にぴったりの題材を手に入れれその魅力を十分に引き出しています。
役者陣もとにかく豪華キャスト。レオナルド・ディカプリオ、マリオン・コティヤール、渡辺謙、エレン・ペイジ、トム・ハーディ、ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、マイケル・ケイン。このお話はチームもので、ディカプリオ率いるチームが大企業の御曹司の夢の中であるミッションを遂行するために大活躍するお話なのですが、この豪華キャストでそんなチームものを演じているので、それだけでも画面が華やかです。
音楽を務めるのはハンス・ジマー。「バックドラフト」や「グラディエーター」、「パイレーツオブカリビアン」をはじめ、数々の有名映画の音楽を担当した作曲家ですが、彼の持ち味は重厚でドラマチックな音楽。本作の予告編で流れる「ズーン、ズーン」という音楽はこの作品以降みんながこぞって真似をしたことで有名です。
※ここからはネタバレです!
ハッピーエンドのはずなのに?意味深なラストシーン。
ノーランの映画といえば、「映画の解釈」があれこれ議論されます。「メメント」や「プレステージ」は誰もが解説したくなるリバースムービーであり、「ダークナイトライジング」や「インターステラー」ではラストシーンの解釈が議論になりました。そして、本作でも、意味深なラストシーンの解釈が議論になっています。
それは、ラストシーン、見事作戦に成功し二人の子供を取り戻した後、上の画像のくるくる回っているトークンが、止まるか止まらないか、というところで幕切れとなります。このトークンは劇中で主人公が今いる世界が夢か夢じゃないかを見分けるために使うアイテムです。
こいつ。
トークンが止まる=主人公がいるのは現実の世界
トークンが止まらない=主人公がいるのは夢の世界
というわけで、それは同時に、
トークンが止まる=主人公のハッピーエンドは現実
トークンが止まらない=主人公のハッピーエンドは幻想
ということになってしまいます。本来なら、このトークンが止まって終わるのが1番すっきりするのですが、止まるかどうかがわからないまま幕切れ。つまり、ハッピーエンドが本当なのかまやかしなのかわからないまま幕切れます。このラストにモヤモヤした人も多いのではないでしょうか?
ラストシーンが表すものは?
あのラストシーンについて、「夢か夢じゃないのか?」という考えに至ってしまうのですが、「夢か現実かわからない」という結論に至ってみてはどうでしょうか?ノーランがあえて映さなかったということは、「夢か現実かわからない」というのが結論です。そもそも、トークンが止まったとしても、主人公が見ている夢は「トークンが止まるっていう夢」なのかもしれないじゃないですか。そう考えると、トークンが止まろうが止まらまいが、夢か現実かわからないんです。もしかするとノーランはその矛盾に気づき、あえて最後を描かなかったのかもしれません。ノーランにとってそこは重要じゃなかったんです。
では、あのラストシーンでノーランが描いたものとはなんだったのでしょうか?あのラストシーンで、確かだったことは、一度はトークンを回した主人公が、子供達に呼ばれて「トークンを確認しなかった」ということです。それはつまり、主人公は「戦いに勝利し、幸せを勝ち取ったという現実を受け入れた」ということです。それが主人公にとっての現実であり、大切なのはトークンが止まることではなく、主人公が確認しなかったことだったのです。
あえて描かなかったのはある演出のため?
また、あえてトークンの行く末を描かなかったのは、観ている人にある演出を仕掛けたかったからなのかもしれません。
ラストシーン。トークンが止まらないままタイトルが表示され、幕切れます。
観ている人は、「ええ!?これで終わり?」とモヤモヤします。エンドクレジット中も、一体どうゆうことなんだろう?と思考を巡らすことでしょう。
そうしてエンドクレジットを観ていると、最後の最後に「夢から覚める合図の音楽」が流れます。これは劇中で主人公たちが、夢から覚める合図として流した音楽です。これが流れると夢の世界から戻ってこられるわけです。そして、その音楽の直後、もう一度タイトルが。
実は映画はまだ終わってなかったんです。この最後の音楽で観ている人はやっと映画の世界から目覚めて、現実世界の映画館に帰ってきました。そういえば、この映画の冒頭のシーンは主人公がある人の夢の中である砂浜で目覚める1人称視点のシーンで始まりました。
ノーランはきっとこの主人公が誰かの夢の世界で目を開くシーンと、映画の中に迷い込んだ観客が映画の世界で目を開くシーンを重ねて描いたのでしょう。
観ている人を見事SFの世界に閉じ込めた
ノーランなのでした。
「スターウォーズはどれから観たらいいの?」という質問に対する「シリーズ映画を見る順番」についての絶対的な回答。
昔某アプリで人気ユーザーをやっていた時、「スターウォーズ」はどれから観たらいいの?とよく聞かれました。当時は「フォースの覚醒」が大ヒットしていたこともあり、職場の同僚からも同じ質問をよく聞かれました。
確かに「スターウォーズ」シリーズは4話から始まるという、特殊な順番のシリーズ映画です。しかし、「スターウォーズ」だろうが、「007」だろうが、「X-MEN」だろうが、シリーズ映画を見る順番というのは決まって、ある鉄則があるのです。
シリーズ映画は公開順で観よ!
もう結論を書いてしまいましたが、シリーズ映画は公開順で観るべきです。
例えばスターウォーズなら、以下の順番で観るべきです。
1977年 エピソード4 新たなる希望
1980年 エピソード5 帝国の逆襲
1983年 エピソード6 ジェダイの帰還
1999年 エピソード1 ファントム・メナス
2002年 エピソード2 クローンの攻撃
2005年 エピソード3 シスの復讐
2015年 エピソード7 フォースの覚醒
2016年 ローグ・ワン / スターウォーズストーリー
2017年 エピソード8 最後のジェダイ
2019年 エピソード9(未公開)
今後、公開される作品やアニメ映画、テレビ映画などを含む場合も、それ以前に公開されたものを見てから観ることをお勧めします。
ちなみにこれを作品内の時系列順で並び替えると、こうなります。
1999年 エピソード1 ファントム・メナス
2002年 エピソード2 クローンの攻撃
2005年 エピソード3 シスの復讐
2016年 ローグ・ワン / スターウォーズストーリー
1977年 エピソード4 新たなる希望
1980年 エピソード5 帝国の逆襲
1983年 エピソード6 ジェダイの帰還
2015年 エピソード7 フォースの覚醒
2017年 エピソード8 最後のジェダイ
2019年 エピソード9(未公開)
このように、時系列がバラバラで公開されているのが「スターウォーズ」シリーズなのですが、それでも公開順で見るべきです。
なぜ公開順がいいのか?
なぜか公開順に観るのがというと、そもそも映画の続編というのは基本的に今までの作品を観た人を意識して作っているからです。
例えばスピンオフ企画の「ローグ・ワン」はエピソード4にそのまま繋がる作品で、エピソード4を観ていないと面白さは半減してしまいます。「ハン・ソロ」はラストシーンにエピソード1を観ていないとわからないファンサービスが盛り込まれていますし、そもそも「ハンソロがルークたちと出会う前に実は、、、。」というちょっと衝撃的な展開はエピソード4〜6を観ているからこそ楽しめるストーリー展開です。また、エピソード1〜3は悪役ダース・ベイダーの誕生秘話なのですが、これはエピソード4〜6を観て彼がどういった悪役だったのか知っているからこそ楽しめるお話になっています。こういった製作者のサービス精神が味わえないと、映画を100%楽しめたとは言えないでしょう。
時系列順に楽しみたいという人は、一度公開順に観てから、もう一度今度は時系列順に観ると、また新たな発見があるかもしれません。いや、きっとあります!
「スターウォーズ」はなぜこんな順番になったのか?
映画を見る順問題は、そもそも公開順が時系列順になっていないから起きてしまう問題です。(別に問題ではないのですが。)なぜこうなってしまったのでしょうか。
まず、最近公開されたスピンオフシリーズ。「スターウォーズストーリー」これはスターウォーズシリーズのヒットをきっかけに製作が始められたものです。安直にいってしまうと、「スターウォーズの映画はヒットするので、前日譚を作ろう!」となったわけです。なので、時系列が前後するのは当然です。
次にスターウォーズが「エピソード4」から始まる理由。そもそも監督のジョージ・ルーカスは全部で9本のSF映画シリーズとしてこの企画を持ちかけたそうです。しかし、1作目がヒットしなければ、続編を作らせてもらえるかはわかりません。そのため、シリーズ中で1番盛り上がる4話を最初に映画にしたそうです。
スターウォーズ誕生秘話の中には、ほかにもルーカスの手腕が光るエピソードがたくさんあります。
「最強のふたり」〜暖かな雰囲気に包まれた、バリアフリーな映画です。
今日はフランス産ヒューマンドラマのレビューです。
評価:4.0(面白い映画)
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2011年(フランス)
監督:エリック・トレガノ、オリヴィエ・ナカシュ
キャスト:フランソワ・クリュゼ、オマール・シー、他
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実話を基にした心温まる物語
この映画のストーリーは、いわゆる「実話を基にしたストーリー」。脊椎を損傷し、首から下が麻痺してしまった電動車椅子の富豪のヘルパーに採用されたのは、看護師でも、介護のスペシャリストでもなく、軽い気持ちで面接に現れたスラム出身の黒人青年でした。「障がい者のかたが元気に過ごせるように」などと綺麗事を並べるヘルパーに飽き飽きしていた富豪のフィリップはどういうつもりか、周囲の反対にも関わらず、障がいにも介護にも無頓着なスラム出身の黒人であるドリスをヘルパーとして採用します。この2人の絆の深まりと友情を描いた物語です。
凸凹コンビのバディムービー
この映画は監督、キャスト共にマイナーな顔ぶれですが、世界中で高評価を受けています。その理由の1つに、この映画が「凸凹コンビのバディムービー」という、お話が必ず面白くなる映画の要素を備えていることが挙げられます。つまり、コメディとして普通に面白いんです。「リーサルウェポン」も「ラッシュアワー」も「ミッドナイトラン」も、凸凹コンビのやりとりが面白いバディムービーです。ドリスはヘルパーなので車椅子のフィリップとともに社交界の色々な場所へ同行するのですが、美術館で見た現代アートを「鼻血が垂れたみたいだ」と言ったり、オペラの衣装を見て爆笑したり、フィリップも見ている私たちもついつい笑ってしまいます。
バリアフリーな映画としてお楽しみください
この物語はとにかくバリアフリーな映画。肢体不自由という障がいをテーマとして扱った作品でありながら、物語は2人の主人公の交流を中心に描かれていきます。
介護や看護の経験など皆無のドリスはかなり型破りなヘルパーでした。フィリップをバカにもするし、口答えもします。でも、フィリップにとっては、自分を障がい者扱いしないドリスの対応が心地よかったのでしょう。ドリスも決して思いやりのない人間ではなく、フィリップのことを障がい者としてではなく1人の友人として大切にします。
この2人の不思議な友情を象徴するシーンがあります。美術館でスナック菓子を食べているドリスに、フィリップが「私にもよこせ。」というと、「これは健常者用だからだめだ。」と笑いながら断るドリス。なんて不謹慎な、、、。と思ってしまいそうな場面ですが、このきつい冗談の後、フィリップもドリスもゲラゲラと笑うのでした。
僕が思うにフィリップって結構やんちゃな人だったんじゃないかと思います。車も介護用以外にいかついの持ってたし、パラグライダーとかアクティブなレジャーもしてたみたいだし。そんな彼に自分らしい自分の生活、つまり「普通の生活」をさせることができたのは、彼を障がい者としてしか見られない介護のプロではなく、そういうことにはに無頓着なドリスだったのです。
実はこの映画の中で、障がいについては意外と描かれていません。障がいなど全く気にも留めないドリスと、そんな彼と一緒にやんちゃをしている車椅子のフィリップを見ているうちに、観ている私たちもこの映画が障がいを扱った映画だということを忘れてしまうような、そんな気分にさせられてしまいます。
「スーパー!」〜笑いと暴力で贈る、自分勝手ヒーローの希望に満ちた物語?
今日は大好きなヒーロー映画を鑑賞しました。ヒーロー映画はヒーロー映画でも、そんじょそこらのスーパーヒーローとは一味違います。ちなみに、監督はのちに「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」というマイナーコミックを世界的に有名な名作ヒーロー映画に仕上げたジェームズ・ガン。そして彼はついに本物のスーパーヒーロー映画、「アベンジャーズ・インフィニティウォー」を監督することになります。
評価:4.5(素晴らしい映画)
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スーパー!
公開:2010年(アメリカ)
監督:ジェームズ・ガン
キャスト:レイン・ウィルソン、エレン・ペイジ、ケヴィン・ベーコン、リヴ・タイラー、他
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※ レビューにネタバレを含みます!
豪華キャストによるヒーローコメディ
この映画を見て、目につくのが豪華キャストです。そして豪華なだけでなく、どれもその役者さんのキャラクターにはまり役で、ナイスキャスティング!
主演のレイン・ウィルソンこそ、マイナーな俳優さんですが、彼は時々コメディやB級モンスター映画で見る顔で、3枚目の王道を行くような本作の主人公にはまり役です。
ヒロインのエレン・ペイジは「ハードキャンディ」や「JUNO」でだいぶ弾けた女の子を演じて高評価を受けた演技派の若手女優。本作でも空気が読めなくてセックス依存症のスーパーヒロイン役を見事な演技力で演じています。危うくて可愛い彼女の魅力が溢れる作品でファン必見。
主人公の奥さんを寝とって(?)しまう麻薬の売人はケヴィン・ベーコン。「ミスティックリバー」では正義感溢れる刑事を演じていたはずが、最近ではすっかり汚い悪役がはまり役の渋(しぶ)かっこいいコワモテ俳優になっていますね。
そしてその奥さんがリヴ・タイラー。「アルマゲドン」や「ロードオブザリング」が代表作。彼女の父親はエアロスミスのヴォーカル、スティーブンタイラーなの知ってましたか?
ヒーローフィルターを排して宗教と暴力を描いた
世の中のヒーロー映画には「ヒーローフィルター」がかかっています。例えば、キャプテンアメリカが悪役をあのでっかいシールドで殴りつけると、見ている側は気分爽快ですが、悪役が善良な市民に同じような暴力を行うとはらわたが煮えくりかえります。これは、その映画がそのように演出されているから。このヒーローの行いを絶対的に肯定する演出を「ヒーローフィルター」と(私が勝手に)呼びます。
しかし、この映画ではそのフィルターがかかっていません。主人公の扮するクリムゾンレッドというヒーローは、確かに街の悪党どもをスパナでボコボコにやっつけて回るのですが、その描写は凄惨そのもの。「それでいいのか?」と観ている側の道徳観を揺さぶられるような演出がなされています。
また、主人公がヒーロー活動をすることを思いつくきっかけになったのは、「ホーリーアベンジャー」という、おそらく宗教の勧誘目的で作られたであろう胡散臭く安っぽいテレビドラマでした。主人公がヒーロー活動として行なった数々の行いは、宗教に扇動された人々が行う犯罪行為の風刺のようでもあり、狂気に満ちています。この映画は、生きる望みを失った主人公が、宗教的幻想を見はじめ、凶行に及び、信じた正義を貫く物語。事実、ジェームズ・ガン監督はこの映画について「ウィリアム・ジェームスの『宗教的経験の諸相』という本の映画化と言ってもいい。」と述べています。
情けないヒーローが到達した、最高のエンディング?
この物語の主人公は、過去に2度だけ訪れた「人生最高の瞬間」として、「奥さんと結婚した瞬間」と、「ひったくりの逃げた方向を警官に教えた瞬間」のイラストを飾っているような冴えない男です。そして、麻薬の密売人に寝取られた奥さんを寝取られてしまうような残念なやつなんです。さらには、彼が本作で実行するヒーロー活動も、前項で述べたとおり、決して褒められたものではない、いわば暴走とも思える行為でした。
しかし、この主人公には、幸福感に包まれ、希望に満ちたエンディングが用意されています。しかも、そのエンディングはお姫様を助けたスーパーヒーローの完璧なハッピーエンドとは違う、クリムゾンヒーローという等身大のヒーローにふさわしい幸福を描いたエンディングでした。
結局ハッピーエンドなの?
前項で書いたハッピーエンドは、あくまでも主人公にとってのハッピーエンド。観る人がこのエンディングをどう捉えるかは、観る人次第かなと思います。
この映画は、観る人が色々考えながら観ないといけないように計算高く作られています。例えば、主人公のヒーロー活動をコミカルに描いていくのかと思いきや、凄惨な暴力シーンを見せたり、悪役であるケヴィン・ベーコンにもちょっと人間味のあるシーンが用意されていたり。ラストシーンでケヴィン・ベーコンは、「俺を殺して世界が変わるのか?」と問いかけ、「試して観ないとわからない。」と主人公は答えます。しかし、結局、「主人公の行いが正しかったのか?」という問いに対する客観的な答えは用意されていません。
大切なものをたくさん失い、代わりにささやかな幸せを見出した主人公。彼が見つめる壁イラストでいっぱいの壁は、幸福のたくさん詰まった戦いの成果にも見えるし、幻想の幸せで埋め尽くされた空虚な壁にも見えます。ただ、どちらにせよ、一人の男が人生をかけて戦い、彼が守ろうとした女性が幸せに暮らしていることを考えれば、涙を流さずにはいられないエンディングでした。
ラストシーンに映る「コマとコマの間に起こったことなのね」というエレンペイジのセリフが描かれたイラスト。
主人公が見出した幸せを通して、
私たちは「コマとコマの間」をどう生きればいいのか?
そう考えさせられる。
でも、楽しいコメディ映画です。
「ドーン・オブ・ザ・デッド」〜名作映画のリメイク作品から読み取る、ゾンビ映画の乗り越えられない壁
昨日に続いて、今日もホラー映画のリメイク作品を鑑賞しました。「300(スリーハンドレッド)」や「ワンダーウーマン」で有名なザック・スナイダー監督のゾンビ映画です。それが長編デビュー作。
評価:3.0(微妙な映画)
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公開:2004年(アメリカ)
監督:ザック・スナイダー
脚本:ジョージ・A・ロメロ
キャスト:サラ・ポーリー、他
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邦題は違うけれど、実は名作映画のリメイク作品
この映画は(みなさん知っていると思いますが、)有名なホラー映画のリメイク作品です。その映画が1978年の「ゾンビ」。「ナイド・オブ・ザ・リビングデッド」でいわゆるゾンビを世界に知らしめた、ジョージ・A・ロメロ監督の名作映画です。
実は(これもみなさん知ってると思いますが)、日本で「ゾンビ」として知られるこの映画の原題が「Dawn of the Dead」なわけです。
しかし、内容は大きな違いがあります。それはゾンビが「走る」か「走らない」か、ゾンビファンの中では好き嫌いが分かれるこの議論ですが、78年版ではノロノロ歩くゾンビが、本作04年版では走るゾンビが描かれています。
他にも色々な違いがありますが、ショッピングモールに立てこもる点なんかは共通していて、原作に敬意を感じるリメイク作品です。非常にクオリティの高い、人気のゾンビ映画ですが、所詮はB級ホラー映画。ストーリーよりも襲ってくるゾンビと、襲われる人々の映像を楽しむ映画だと思います。そう考えると、名作ゾンビ映画のストーリーをなぞりながらも、新しい映像とゾンビ像で見る人を楽しませる作品に仕上がっていると言えます。
ゾンビ映画が乗り越えられない大きな壁
ゾンビ映画を見た後、「え!?これで終わり?」と感じることが多いです。それは「ゾンビ」という現象がもう人間には手がつけられないほどに強力な現象であるためです。「ゾンビ」と言う現象の特徴は、
・ ゾンビになると人を襲い出す。
・ ゾンビに襲われた人(動物)もゾンビになる。
という特徴があり、映画の舞台はたちまちどこもかしこもゾンビだらけになっていきます。
その結果映画のエンディングとしては、
・ 主人公たち全滅のバッドエンド
・ 主人公たちは助かるも、ゾンビ自体は解決しない「戦いは続く」エンド
・ ワクチンなどでゾンビが解決するも何だか説得力に欠けるエンド
のどれかになってしまうような気がします。B級映画にはあまり詳しくない私ですが、今まで見てきたゾンビ映画はこのどれかのエンディングになっていました。「この後どうなってしまうんだ!?」と観客をハラハラドキドキさせ、絶望させる「ゾンビ現象」。しかし映画にもってこいの現象を見事に解決してエンディングにもっていった映画は、未だ誕生していないんじゃないかと思います。
これがゾンビ映画が結局B級映画に止まってしまう大きな壁です。まぁ、決してB級映画がよくないと言っているわけではありません。
B級映画、楽しいですよね。